半熟英雄(スーパーファミコン)
思い出
ファミリーコンピューター版の半熟英雄に魅了され、スーパーファミコン版でパワーアップしたと予想して迷わず購入しました。…それならどうしてファミコン版を先にアップしないの? なんて野暮な疑問は持たないで下さい。ここまでお付き合い頂ければ判るでしょ?『今更』ですよ…。とまぁ、脱線は早めに修正いたしまして、このタイトルのプレイ感想ですね。
単純な説明をするならばリアルタイムシミュレーションとでも表現しましょうか、予め目的地とした場所を設定すると、指示したキャラクターユニットがマップ上をテクテク歩いて行くわけですね。マップ上の目的地は様々ありますが、主にはクリア条件となる敵の拠点に向けてです。
そうなると、敵の拠点を制圧すればマップクリアとなるわけですが、それは敵となるコンピューター側も同じ。向こうは向こうでやはりこちら側に歩を進め、平地で山で拠点内で、お互いが遭遇した時点で戦闘開始…という流れです。
このタイトルの最大のウリは戦闘そのものでしょう。プレイヤー参加型と表現すれば良いのでしょうか、ユニットにスタミナが備わっており、そのゲージが許す限りボタン連打で攻撃力が上がるところですね。しかも、やみくもに連打するのは単なるスタミナ消費にしかならず、自ら不利な状況を作り上げてしまいます。きちんと敵にぶつかる寸前からぶつかった時までの連打に留めれば、効率よく敵を排除する事が可能であり、相手によってはこちらのリーダーが直接手を下さなくとも雑兵が敵リーダーを打ち取ってくれます。なかなかに凝った仕様ですね。
戦闘場面においての最大の目玉と言えば、やはりエッグの存在でしょうか。
リーダーの中にはエッグ(たまごだっけ?)を所有する者が存在し、そのエッグを祈祷する事でエッグモンスターなる味方が召喚出来ます。
エッグモンスターは(キャラにもよりますが)非常に強く、(キャラにもよりますが)ほぼ一方的に相手を打ちのめしてくれます。
但し、世の中全てが思い通りになるわけでもなく、当然ながら敵も必死の応戦にて出迎えます。時にはこちら同様、エッグモンスター召喚も行ったりして…。
そんな戦闘の最中で所有するエッグモンスターが撃破されれば当然ながらエッグは使い物にならなくなり、召喚不可能になってしまいます。また、無事に味方モンスターが勝利したとしても、エッグは召喚を行う度にエッグモンスターのランクが落ちてしまい、最後にはどうにも頼れないエッグマンというエッグモンスターが召喚される事で『エッグ』の魅力は完全に失われてしまいます。
見た目のコミカルさとは裏腹に、結構シビアな仕様タイミングが随所に盛り込まれていた作品だったのですよね。
あ、ちなみにこちら、どういった理由かまでは忘れましたが、最終ステージ(20話?)まで進めておきながら、結局エンディングに到達しなかったんですよね。この頃は面白いゲームが目白押しだったので、きっと新作の何かにやっつけられたのでしょう。今更ながら残念な話です。
はなうたBGM
ファミコン版半熟英雄と比較するまでもなく、様々な分野、角度、ボリュームでその初代を凌駕したスーパーファミコン版半熟英雄ですから、当然ながらそのBGMだって数や音源は比較になりません。比較にならないのですが、どういうわけかBGMそのもののインパクトが私個人的にはファミコン版に向いてしまい、スーパーファミコン版でのBGMを思い出すとなるとなかなか出てこないのですよね。無意識の時にはひょっこり出てくるのですが…。
まぁ、個人的には理解してますよ。だって、スーパーファミコン版半熟英雄を購入したきっかけは、ファミコン版半熟英雄にどうしようもなく魅了されたのが理由ですから。
ですので、ファミコン版のBGMは考えるまでもなくぽこぽこ浮かんでくるのですが、スーパーファミコン版BGMだと少しばかりの思考が必要になるのです。
『そんなにファミコン版が気に入ってたのなら、ファミコン版で話を進めれば良かったじゃないか』と思ってしまうアナタ。正解です。
ですが、もう一度私なりに、自分の性格に正直になった上で言わせて頂きます。
『今更です』
ともあれ、スーパーファミコン版で好きなBGMはマップ画面での音楽ですかね。シビアな内容に合わないノリが好きです。それと、エッグモンスター召喚の祈祷中のBGMもなかなか味があると思います。
野良ソフト…
このタイトルが出る頃は様々なメーカーから新作が発表されていました。そのため私個人が所有するソフトは少なくとも、身の回りの友人知人がそれぞれのタイトルを購入し、誰かしらが所有するタイトルに興味を持つ結果、貸し借りが非常に流行りました。私にとって『ファミコン時代』は小学生の頃の話なので、安易に貸し借りを行うと親の目が光るケースがままありましたが、スーパーファミコンを所有した頃は中学生も最終段階の頃でしたので気兼ねなくソフトを交換したものです。
その結果、どのソフトにも手を出す事が出来る一方で時間制約が厳しくなり、どのソフトであっても中途半端な所までしか進められないという困りダネもありました。
悪い事に私の家は友人知人の溜まり場というか拠点というか、用の有る無しに関わらず『暇なら取り敢えず…』の感覚で訪れられたので、それなりのタイトルをプレイするに至りました。
自分の知らない、買うまでに至らないゲームというのは画面に映されると妙に引き付けられるもので、『興味無い』と言っておきながらハマっていたり、完全に自分のジャンルではないゲームを友人がプレイしていたりしても、気付けばそれを食い入るようにして眺めていたものでした。
まあ、そんな理由で私を含めた当時の身の回りの友人知人はわざわざ互いに持っていないソフトを選んで購入するに至り、それを順番に共有していた時期がありましたね。複数人が同タイトルを所有するジャンルは極めて絞られ、言えばRPGくらいなものでしょうか。セーブ数に限界があり、長期的に貸し出せば確実に抹消されてしまいますからね。
私の家…というか、私の部屋が拠点と化していた時に笑えるのは、誰の単なる気まぐれで購入したソフトというものは最終的に持ち主が解らなくなる事がある事でしたね。高い金額を払って本人がその所有物を忘れるというのもなかなかアホな話なのですが、実際に忘れてしまったのですからどうにもならない。そんな『野良ソフト』の行き場と言えば、やはり私の部屋になってしまいます。
私も野良ソフトの存在は気になりますが、私の場合は箱を必ず取っておいたクチなので、それが無いソフトは全て誰かの物になるのですよね。…でも、だれも自分の物と認めない。
そんなこんなで時間も過ぎ行き、そろそろ顔を合わせる機会が減って来た頃、野良ソフト達を数人の友人と共に中古ショップに赴き、『良い飼い主に恵まれろよ』と、思……っちゃいませんが、そんなノリで売却処分。それで手に入れたお金を人数で割り昼ご飯を食べに行きました。…思いっきり足が出ました。当時の中古ショップの買い取り値段なんて無いようなものでしたからね。